sexta-feira, 22 de fevereiro de 2013

Em japonês




Abaixo, a tradução para o japonês do texto Balanço e desafios das esquerdas continentais, publicado na revista Nueva Sociedad 234 julho-agosto de 2011. 
O texto original está no endereço   www.nuso.org/upload/articulos/3785_1.pdf

A tradução foi feita por Yoshihisa MATSUSHIMA


ラテンアメリカ・カリブの左翼:総括と挑戦
 ラテンアメリカ・カリブの左翼が道を外れずに勢力を広げたいと思うなら、21世紀の資本主義についての論議、20世紀の社会主義の評価、および戦略的な論議にもっと注意を払うべきだろう。それは、政治路線と社会的基盤、政党、政府、国家の間の方程式を解くことを含んでいる。
 ラテンアメリカとカリブは、資本主義の発展、もっとはっきりいえば、今日なお支配的な大国、すなわち米国およびいくつかの欧州諸国を豊かにさせるための重要な役割を担った。
 ラテンアメリカ・カリブに対する略奪と搾取は、欧州宗主国の資本主義的工業化に先立つ富の蓄積に貢献した。
 その後、ラテンアメリカ・カリブ海地域諸国は、一次産品供給国としてだけでなく、宗主国の工業製品の消費市場および資本輸出の受入れ国としても、仕えた。
 この搾取関係は、宗主国(ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、米国)の中の覇権国に関係なく、歴史を通じて維持された。
 宗主国の搾取はラテンアメリカの発展を妨げなかった。だが、それは、搾取と外国依存、不平等の発生条件を再生産するタイプの発展を引き起こした。
 最近の分析によれば、宗主国は、発展が宗主国との関係で連合、従属、依存、周辺的なものである限り、それを受け入れ、促進さえしていた。
 搾取も発展も、(a)自然の条件、(b)コロンブスのアメリカ大陸到着以前の社会および各宗主国の特徴、(c)搾取のさまざまなタイプとレベル、すなわち、支配階級の一般的姿勢および搾取される社会グループの行動、によって異なる形態をとった。
 相違-国、準地域、社会、民族、文化、言語-はしばしば、ただ1つのラテンアメリカ・カリブの存在を疑問視するために使われている。19世紀の初めがそうだったし、21世紀初頭も続いている。そのことは、1998年以来推進され、米州ボリバル同盟(ALBA)や南米諸国連合(UNASUR,中南米カリブ諸国共同体(CELAC)のような機構に具体化された統合政策に反対するセクターの議論の中で確かめられる。
 ラテンアメリカ・カリブ海地域諸国の間にある大きな相違を否定することも、過小評価することもできない。それは、これらの相違の一部が宗主国およびこの地域における彼らの同盟者の活動から生じているためでもある。
 それにひきかえ、重要なのは、この地域が植民地時代から2重の可能性を示してきたことを認識することだ。すなわち、(a)従属的統合の可能性。より正確には、独立国家集団にばらばらにしてしまうことであり、ときには内部で対立するが、等しく宗主大国に従属する、(b)他方で自主的な統合の可能性、である。
 両方の運命がラテンアメリカの将来の可能性の中に刻み込まれている。中心的な大国の利益と必要にもとづき外部から統合される地域になるか、それとも内から統合さ
 第2の将来の可能性には幅広い選択肢がある。自分たち自身の支配階級の利益のためにこの地域の1つの国によって同化される統合から、社会主義的な方向を持つ統合までの幅がある。
 過去5世紀にわたって、不平等と民主主義的自由の制限が顕著な国家発展と結合した、従属、連合、周辺的な統合の変種が幅をきかせた。
 前述の数世紀を通じ、すでに示したつながりから、宗主国の中で危機が起こるたびに、国家発展と地域統合、世界の他の国々との関係をめぐる性格についての論争がこの地域で強まった。
 18世紀末と19世紀初めの間、欧州のブルジョワ革命の波は、ラテンアメリカの独立に有利な状況をつくりだした。一部の自治共和国やブラジルの君主制がイベリア半島のヘゲモニーからイギリスのヘゲモニーへと逃れたことに、注意を払うべきだ。
 20世紀前半、帝国主義国の間の紛争は工業化の台頭に扉を開けるのを助けた。そのプロセスは一方で、1930年から50年にかけての革命的、ポピュリスト的な時代の土台に、また、60年代に始まったクーデターと独裁の時代の土台にもなった。
 工業化のこの段階は、イギリスのヘゲモニーの低下および米国の地域的、世界的なヘゲモニーの強化と同時に進んだ。
 1970年代の国際危機、厳密にいえばこの危機に対する米国の態度が、世界とラテンアメリカ・カリブ地域に不況を引き起こした。それは、欧州の社会民主主義とアフリカ民族主義、ラテンアメリカの開発主義、ソ連型社会主義の衰退、そしてさらに、対外債務の危機と新自由主義の高まりに特徴づけられた。
 8090年代、新自由主義がラテンアメリカを席巻し、従属と不平等、前期の政治的保守主義の特徴が強まった。
 ラテンアメリカでは90年代、国家的、人民的、民主的、社会主義的な利益の擁護は、戦略的守勢の段階に入った。いいかえれば、社会主義の危機と新自由主義の攻勢に特徴づけられる流れの中で、それに先立つ時期の獲得物を守ることが問題だった。
 1990年代の半ば以降、人民勢力による戦略的守勢の状況は、重大な国際的不安定の時期と重なった。それは、資本主義の危機と米国の覇権の衰退という2つの現象のコンビネーションの産物である。
 一方、積もり積もった危機があり、直接的、間接的にあらゆる分野-金融、貿易、為替、エネルギー、食料、環境-にあらわれている。
 他方で、地政学的再編がある。それは以下の点から生じている。(a)世界的な覇権を維持するために米国が直面している困難、(b)ソ連圏の崩壊後に増大した資本主義国間の矛盾の激化、(c)対抗する国の強化、とりわけ中国。
 上述した地政学的およびマクロ経済的な現象の結合による大きな国際的不安定のこの時期は危機と社会的反乱に特徴づけられており、今後も続くだろう。
 国際的不安定のこの時期がどれぐらい続くかを知ることはできない。それは、後に出現する世界と同じように、各国内部の政治闘争と国家間、地域ブロック間のたたかいがどのように相互作用するかによるだろう。
 今日の国家間、地域ブロック間のたたかいは、一方を米国およびその同盟国である欧州と日本とし、他方をBRICSとその同盟国として、対立している。
 1945年以前に起こったこととは異なり、今日の対立は(ほとんど)旧周辺に位置していた国家と(ほとんど)旧中心だった国家との間のものだ。そして、1990年以前に起こったこととは異なり、現在は資本主義の枠組みの中での対立だ。
 ラテンアメリカは、米国とBRICSの対立の舞台の1つである。地政学的見地から中長期的に考えると、少なくとも3つのシナリオがありうる。第1は、米国が世界的、地域的な覇権大国の条件を維持する。第2は、米国は世界的な覇権の条件を失うが、地域的な覇権は維持する。第3は、ラテンアメリカ・カリブにもっとも望ましいことだが、米国が世界的にも地域的にも覇権大国でなくなることだ。
 米国とBRICSの対立は資本主義の枠組みのなかでの対立だ。だが、ラテンアメリカ・カリブには、この地域の左翼の強力な影響となった、1998年〔ベネズエラ大統領選でチャベスが初当選した年〕に始まったプロセスの結果のように、考慮に値するエキセントリックな異変〔ゴチックは原文による〕がある。
 第17回サンパウロ・フォーラムの基本文書によれば、左翼政党はキューバ、ベネズエラ、ニカラグア、エルサルバドル、ブラジル、エクアドル、ボリビア、ウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン、ドミニカ共和国の政府を支持し、それらの政府に参加あるいはそれらを率いている。
 革命的武装闘争の結果として生まれ、19614月に社会主義的性格を担ったキューバ政府を除けば、あとの政府は選挙勝利の結果として生まれた。1998年のウゴ・チャベス(ベネズエラ)から広がり、2009年のマウリシオ・フネス(エルサルバドル)までである。
 左翼が参加している政府は、互いにかなりの相違点を保っている。それは、自然や地理上の違いからくるものから、歴史的、社会的背景の違い、そして政権についた左翼のものであれ、野党になった右派のものであれ、異なる政治路線から生じた相違点に至る。
 政治的な相違点は、必ずしも否定的な側面にならない。逆に、1つの政治だけだったら、唯一のモデルが続いていたとしたら、これだけ多様な国々でラテンアメリカの左翼が選挙で勝利することはなかっただろう。
 しかし、多様性にもかかわらず、ラテンアメリカ・カリブのすべての左翼は共通の問題に直面している。すなわち、(a)新自由主義の遺産や保守的、植民地的な開発主義の遺産(ボリビアやブラジルの人種差別のような)、(b)権力にかかわるものから富、あるいは社会的権利へのアクセスにかかわるものまでそれがなにであろうが、あらゆるたぐいの再分配政策に対するブルジョアジー(およびその同盟部分)多数派のセクターのラジカルな反対、(c)地域統合プロセスを優先するラテンアメリカ諸政府に対する旧宗主国の攻撃的態度、である。
 統合のさまざまなプロセスが存在している。いくつかのプロセスは革新、左翼政権のうねりに先立って開始された。南米南部共同市場(メルコスル)やその他の準地域貿易協定がその例だ。それらは、統合の目的に応えようとするものだったが、米州自由貿易地域〔米国が提唱した南北アメリカ大陸全体の自由貿易構想〕に向けた中間ステップのような協定でもあった。
 統合の他のプロセスは、左翼が参加する政権のイニシアチブによって最近登場した。南米諸国連合(UNASUR)や米州ボリバル同盟(ALBA)、中南米カリブ諸国共同体(CELAC)がそれである。
ALBAはイデオロギー的に類似性を持つ政府間協力の制度的枠組みである。他方、UNASURCELACは地域統合のプロジェクトであり、政府の政治・イデオロギーの傾向とは関係なく、この地域のすべての国を含むことをめざしている。
 われわれは、米国とBRICSの対立は資本主義の枠組みの中で起こっていると述べた。ラテンアメリカ・カリブはこの対立が起こっている舞台の1つであり、この地域には考慮されるべきエキセントリックな異変、すなわち左翼の強い影響力があるということだ。
 左翼のこの影響力は、ラテンアメリカ・カリブが消極的な舞台ではなく、世界で進行中の地政学的性格を持つたたかいにおける極の1つになることを可能にしている。また、この地域を、資本主義に対する社会主義的代案を再構築する場の1つにすることも可能する。
 これらの2つの可能性を現実にするために、ラテンアメリカ・カリブの左翼はさまざまな理論的、戦略的、戦術的な挑戦に立ち向かわなければならない。
 第1は、ラテンアメリカの右派とその同盟国がすすめる反撃を打ち破ることだ。
 この反撃は以下のものを含む。(a)左翼に反対するメディアの恒常的なキャンペーン。(b) この地域の左翼政権を「穏健派」と「急進派」に分け、ある政権を他の政権と対置させながら、政権間に不協和音を持ちこむ企て。(c)クーデターを含む不安定化キャンペーンの推進。クーデターがこれまでに成功したのはホンジュラスでだけ。(d) 選挙で有力候補を擁立する戦術。パナマとコスタリカ、チリで成功した。(e)米第4艦隊の再配備や米国およびその欧州同盟国のこの地域における軍事基地の増加を通じた軍事的圧力。
 右派のこの反撃は2つの要因に助けられている。1つはオバマ政権であり、もう1つは国際的危機の地域的影響だ。
 オバマの当選は世界中の人びとに巨大な期待を生み出した。それはこの米大統領に、ブッシュになかった政治資本を与えた。オバマ政権は米国の外交政策を根本的に変えていない。にもかかわらず、その政治資本は、かなりすり減ったとはいえ、依然として息づいている。
 同様に、国際的な危機はこの地域のさまざまな国、とりわけキューバやベネズエラ、ボリビア、エクアドルのような輸出に大きく依存している国に、巨大な困難をもたらした。
 ラテンアメリカ・カリブの政治的、社会的左翼の第2、第3の挑戦は、(a)これまでに獲得した政権を失わないこと、(b)新たな政権を獲得すること、にある。
 この地域ではこれから、ペルー、グアテマラ、アルゼンチン、ニカラグアで選挙がある。つまり、中道左翼政権の3カ国と右派政権の1つの国だ。その後、2つの重要な選挙がある。ベネズエラとメキシコだ。
 政治的、社会的左翼の第4の挑戦は、政権を担当しているところで、民主的、国民的な性格を持つ構造的変革を促進することだ。この点で、いくつかの制約を考慮する必要がある。
 (a)国政レベルでは、左翼はまだ戦略的守勢の段階にあり、それは構造的変革への客観的困難をつくりだしている。
 (b)選挙で生まれた政府による構造的変革の促進は、革命政府によるその促進とはかなり大きく異なっている。
 (c)構造改革の実施は、選挙勝利に必要な政治的支持よりもっと多くの政治的支持を要する。
 (d)ラテンアメリカ・カリブで政治的、社会的左翼が参加している政府は、一般的に政治的(中道から右派に至るまでの政党との)および社会的(ブルジョア階層との)連合であり、資本主義の枠組みのもとで活動している。そして、多かれ少なかれ、ブルジョア階層も利する政策をとっている。
 (e)そのため、ラテンアメリカ・カリブの政治的、社会的左翼が支える政府は、右派の反対に加え、中間層やブルジョア階層との合意や資本主義型の政策を敵視する左翼の反対にも直面する。
 ブラジルは、政府が民主的、国民的な性格を持つ構造改革を促進することがいかに複雑で困難であるかのいい例だ。
 ブラジルの歴史は20世紀全体を通じ、発展に関する2つの主要な代案をめぐるたたかいに特徴づけられた。保守的な代案と進歩的な代案だ。
 保守的な代案では、資本主義が、構造改革をともなわずに、程度の低い民主主義のもとで、主要大国(最初はイギリス、後に米国)の利益に寄り添いながら、発展するというものだ。
 進歩的な代案は、資本主義的な発展が改革や民主化、国家主権、自主的な外交政策と結びついたものだ。
 20世紀のほとんどを通じて、保守的な代案が支配的だった。そのことは、独裁と社会的不平等の増大という中での急激な成長を説明する。
 20世紀のほぼ全体を通じ、進歩的な代案は、少数派であることに加え、一部の社会主義勢力を同盟者としてもつ資本主義勢力のヘゲモニーのもとにあった。
 だが、1980年代の終わりには、労働党をはじめとする社会主義勢力が、進歩的な代案を擁護する政治的・社会的勢力のブロックを導くようになった。
 ほんのしばらくの間だったが、ブラジルでは2つの主要な代案、すなわち保守的な資本主義の代案と人民民主主義的かつ社会主義的な代案の対峙になるかのようにみえた。
 だが、それはつかの間だった。つまり、社会主義の危機と新自由主義の攻勢に特徴づけられた国際的、国内的な環境のもと、労働党と大部分の左翼は自分たちの綱領的、戦略的な目標を変更し、社会主義を長期的目標として掲げながらも、進歩主義が主導する路線(社会政策や民主主義、主権、統合をともなう資本主義的発展)を徐々にとりはじめた。
 こうして90年代も引き続き、保守的な代案(現在は新自由主義の覇権のもとにある)と進歩的な代案(現在は労働党が率いている)のたたかいに特徴づけられた。
 新自由主義の時期は、ブラジルを発展させた伝統的スタイルのもっとも保守的な傾向をきわだたせ、支配的なブロックに亀裂が生じるほどだった。大きな、そして中小ブルジョアジー内の離反勢力は、2002年の共和国大統領にルラを当選させるうえで必須だった。
 大統領府をにぎってから、国内政治(およびブラジル左翼の戦術上の大挑戦)の大きなテーマは引き続き、新自由主義が遺したものの克服だった。労働党が政権を率いて2011年で8年以上になるにもかかわらず、新自由主義のこの遺産は依然として大きく影響している。
 大きな戦略的挑戦は、政府の掌握および進歩的勢力における労働党のヘゲモニーを維持しつつ、社会主義的な代案が再びたたかいの極の1つ(1980年代末に起こったように)になるようにすることであったし、いまもそうである。この戦略上の挑戦は、ブルジョアジーのさまざまなセクターが労働党に及ぼす物質的、政治的、イデオロギー的な影響力の増大によって困難にさらされている。
 戦術的挑戦と戦略的挑戦の実際の結びつきは、いわゆる人民民主主義的な構造改革の実現にかかっている。つまり、収入、所有、権力の集中を変えることを意図する改革だ。より具体的には、税制改革、農地改革、都市改革、金融システム改革、政治改革、通信の民主化などをさしている。政治改革は、左翼に対する資本の影響を減らすうえでも、また、構造改革に必要不可欠な議会多数派の実現、少なくとも左翼が現にたてている戦略の枠組みにおける構造改革に必要不可欠な議会多数派の実現を可能にするうえでも、とりわけ重要だ。
 政権についている左翼は、こうした改革を実行できなければ、あるいは少なくともその道を切り開くことができなければ、国民生活の当面の改善にどれほど貢献しようとも、戦略的意義を有しない。そうした改革を遂行しなければ、チリのコンセルタシオン〔直近の選挙で右派に敗北した前政権の選挙連合〕の一部に起こったように、左翼の支持者を幻滅させ、分裂させることになるかもしれない。
 だが、構造改革を実施するためには(あるいは、少なくともそうした意味で力を蓄積するためには)、左翼政権は政治的支持を必要とする。それなしでは、ホンジュラス政府に起こったように、転覆されることもある。
 この第4の挑戦に対しては、したがって、政治的・社会的左翼は性急になることも、あまりにゆっくりすることもできない。そのためには、具体的な状況の具体的分析を通じて、相対的な力関係を適切に考慮する必要がある。そして、チリ人民連合の経験によって開かれた戦略的な討議を再開すべきだ。
 第5の挑戦は統合プロセスを早めることだ。この地域の可能性を活用するうえで、また、帝国主義の干渉を減少させるうえでも、根本的なことだ。
 第6の挑戦は、ラテンアメリカ・カリブの国民文化を支配的な文化に戻すことだ。実際のところは、政治的観点から米国が大きく問題視されていでも、米国の生活様式が引き続き支配的だ。
 第7の挑戦はラテンアメリカ・カリブの左翼の理論的、政治的能力を高めることだ。とりわけ、政府間、政党間、社会運動の間での協力を拡充する必要がある。これなしには、国政レベルで右派と対峙するにあたっても、大陸規模の統合や世界的不安定の課題に立ち向かうにあたっても、ますます困難になるだろう。
 理論的考察は、ラテンアメリカ・カリブの左翼のさまざまな集団の世界観と定式化に系統的な歪みをつくりだす3つの否定的要素に立ち向かい、克服しなければならない。
1)新自由主義の影響と結びついた民族主義的、開発主義的、社民的、社会主義的な代案をめぐる危機。
2)選挙プロセスと国家制度への参加によって認識された重要性。
3) la necesaria construcción de frentes policlasistas, en un contexto de debilitamiento de la clase trabajadora en tanto clase en sí y para sí.
3)複数階級の戦線を構築する必要性。労働者の中で、また、労働者にとっても、労働者階級が弱まっているという脈路において。
 これらの否定的要素は異なる形で、それぞれの左翼集団、とりわけそれぞれの組織に作用した。しかしながら、われわれは、すべての集団や政党にあらわれた3つの傾向を特定できる。中道主義、空想主義、運動主義である。
 1990年代の情勢のもとでは、狂信的な左翼主義は別にして、(政策的、綱領的な)譲歩をするのは避けられなかった。したがって、われわれが中道主義について言及する(そして批判する)場合は、より根本的に譲歩し、綱領上の目的や社会的基盤を変更、あるいはたんにブルジョア階層の利益にとってそれほど重要でない戦略的立場を受け入れた組織についてである。それは、いわゆる中道左派の戦略をとる勢力の間で主要な立場だった。
 どういう情勢のもとでも、左翼組織というものはある程度のロマンティックな主意主義(あるいは空想主義、この言葉の普通の意味で)を必要としている。それは科学的、理性的確信を強め、長期的な目標を想起するのを助ける。したがって、われわれが空想主義について言及する(そして批判する)場合は、戦術面で敵の力を系統的に過小評価する立場を受け入れ、戦略面で前資本主義的なパラダイムをとる組織についてである。この第2の特徴はボリビアとエクアドルの左翼にいまも根強いが、両国の左翼だけではない。
 組織された社会基盤を選挙基盤にとりかえてしまう左翼政党は、イデオロギー的、政治的に、そして選挙のうえからも、敗北だと非難される。それゆえ、左翼は必然的に、自分たちの社会基盤の運動や組織化を支援し、促進する必要がある。したがって、われわれが運動主義について言及する(あるいは批判する)場合は、秘密の無政府主義者の概念についてである。それは、この歴史的な時期における選挙戦や政府への参加の重要性を過小評価し、いわゆる社会運動を歪め、神話化する。そして、イデオロギー分野で、社会運動を反資本主義闘争の前衛に変えてしまう傾向がある。 
 これまでにわれわれが指摘したすべてのことの結論として、ラテンアメリカ・カリブの左翼は今日、現状の変革を望む人びとにとっての2つの基本的任務、すなわちロードマップの提起および行動分野全体の調整という任務を果たしていくうえで、大きな困難に立ち向かっている。
 もちろん、前述したことは、各党のもとに存在するいくつかの組織やセクターに関しては適切でないかもしれない。だが、われわれは、全体的な観点から、適切な記述だと考えている。
 とりわけ与党の場合、考慮する必要があるのは、選挙での勝利、および国民がマスコミの影響を強く受けている不平等の大きい国の統治には、カリスマ的なリーダーシップに従いやすく、不可欠の集団指導に反発しがちな国民各層の動員が求められるということだ。
 「票の取引」のため政策綱領上の討議が妨げられる選挙戦では、大規模な資金も欠かせない。そのことは、たとえ部分的でも、それらの政党を彼らのもとの社会基盤から引き離しかねない国家および産業界との関係を生み出す。
 最後に、選挙勝利と国の統治は、支配勢力であると同時に反支配勢力になることや選挙をたたかう力、権力への道すなわち政治・社会革命への道の一部として統治する力をめざしながら、国家機構の内外で活動することを必要とする。これは、口でいうほど簡単なことではない。とりわけチリがたどった道、つまりチリ人民連合政府が1970年から73年にかけて進もうとした戦略的な道のりに関する論議におくれをとっている場合はなおさらだ。
 上述した否定的要素は、自分たちが構成または支持している政府の示す急進性にかかわりなく、すべての政権党に影響する。だが、検討すべき重要な差異がある。
 新自由主義は、それがより破壊的だった国々では、右派の縁故主義や派閥政治の支持基盤も掘り崩し、左翼を含めすべての政治勢力を消滅させた。
 それゆえ、新自由主義の覇権が力尽き、反対派が選挙で勝利したときも、新大統領たちは、ベネズエラの第五共和国運動(MVR)やボリビアの社会主義運動(MAS)、エクアドルの国民同盟(PAIS)のような比較的最近できた政治組織の構成員だった。
 さらに、新しい統治者らは、憲法制定プロセスを呼びかける必要性を見出すとともに、そのための手段を用意し、修辞的、政治的、制度的な見地からそのプロセスを急進化する
 この急進化は、1つには激しい不平等の構造に対する反応であり、他方では信用失墜や不安定化、クーデターのキャンペーンを行う右派の過激性への回答である。
 だが、この政治的急進性によって、それらの国々のマクロおよびミクロ経済の諸条件がポスト新自由主義の経済モデルの構築にとって最良のものになるわけではなく、ポスト資本主義のモデルにとってはなおさらだ。
 主観的条件と客観的条件の矛盾の根本は、これらの政府のもともとの社会基盤の一部と政府が導入せざるをえないいくつかの発展政策との対立の増大にある。「せざるをえない」といったが、それは積もりつもった社会的要求に応え、また、中長期に至る将来の必要性に対応することが問題になっているからである。
 実際に存在する開発主義は資本主義の性格をもつものなので、それは中道(資本の戦略的同盟者)や運動主義者(特定の政策に対するセクト的反対)、左翼のさまざまな集団の中にいる空想主義者(開発に対する左翼的な拒否)の反応を引き起こす。政府の政治的社会的基盤でのこうした分裂は、国際的な危機を原因とする困難な状況のもとでは、右派野党に有利な選挙情勢をもたらしうる。
 多様化した工業経済を有し、政治的社会的な抵抗によって新自由主義に多くの制限を押しつけることのできたこの大陸の他の国では、国家と政治勢力はよりよく保たれた。
 これらの国では、選挙で勝利する反新自由主義の政党は、ブラジル労働党(1980年創設)やウルグアイの拡大戦線(1971年)のように、長い歴史を持っている。同様に、選挙で敗北した右派も依然として強大で、影響力を持ち、憲法にかかわるプロセスや構造改革を妨げている。
 これらの国で、中道プラグマチズムが強力で、空想主義や運動主義が相対的にわずかな影響力しかないのは、驚くにあたらない。
 これらの国々では、逆説的だが、相対的に穏健な政治プロセスとは反対に、マクロおよびミクロ経済の諸条件は(少なくとも可能性としては)ポスト新自由主義の経済モデルの構築にとってより有利である。それは、社会主義の建設についてもいえる。
 図式論的な描き方はともかくとして、われわれが示した主観的条件と客観的条件の矛盾は、大陸的な戦略の枠組みにおける理論的、実践的な解決を見出すしかない。だからこそ、統合問題はラテンアメリカ・カリブの左翼の政治論議では重大な分岐点となっている。
 統合は、ラテンアメリカ・カリブ諸国のそれぞれの社会主義的未来を保証するものではない。すべての統合プロセスが社会主義的戦略と共存するものでもない。だが、現在の国際情勢のもとでは、ほとんどのラテンアメリカ・カリブ諸国にとって、統合こそが社会主義(あるいは進歩的な資本主義的発展主義を含めて)を現実的な代案にしうるのである。
 ラテンアメリカ・カリブの左翼が道を外れずに勢力を広げたいと思うなら、21世紀の資本主義についての論議、20世紀の社会主義の評価、および戦略的な論議にもっと注意を払うべきだろう。それは、政治路線と社会的基盤、政党、政府、国家の間の方程式を解くことを含んでいる。
バルター・ポマルは労働党の全国指導部員

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